黒滝山、白滝山へ、広島県竹原市の忠海側から、登って来ました。
JR呉線の忠海駅で下車します。
忠海駅にあった観光案内です。
忠海港から黒滝山を見上げたところ。
忠海港から南を見たところ。
正面に大久野島、
その向こうに大三島が見えます。
黒滝山に向かう途中の道です。
途中、地蔵院と言うお寺があります。
山門越しに黒滝山を見たところ。
近くの畑には、みかんがなっています。
これは、みかんじゃ無いようですが、
何でしょう?
この辺りは、柑橘類が有名です。
黒滝山です。
途中、こんな道しるべ?があります。
でも、なんて書いてあるか、私には読めません。
登山道を横切る舗装道に出ます。
登って来た南側を振り返ると、
正面に大三島が見えます。
その舗装道脇にあった黒滝山・白滝山の周辺地図です。
登山道周辺
には、
33体の
石仏が、
点在して
います。
ミニ四国
33ヶ所
霊場と
呼ばれて
います。
南西方向を見たところ。
正面の小島は、小久野島で、
鉄塔の向こうに見えるのは、大崎上島です。
登って行くと、岩に彫られた石仏があります。
これは、観音第14番とあります。
南側の景色です。
中央に浮かぶ左側の島が、大久野島、
右が小久野島です。
大久野島は、戦時中の毒ガス製造で有名ですが、
今は、小学校で飼われていたウサギが、
人が住まなくなって、
自然繁殖しており、ウサギ島として有名です。
左側の大きな島は、大三島で、
右側の鉄塔の向こうの島は、大崎上島です。
途中、休憩所のさくら堂にあった黒滝山の説明です。
更に登って行くと、また、岩に彫られた石仏があります。
観音第十番です。
更に登って行くと、
乃木将軍腰掛の岩があります。
明治39年5月、忠海重砲大隊特命検閲の為に、
ここ竹原市忠海へ来たと、説明があります。
その腰掛岩越しに景色を見たところ。
この岩に座って眺めた景色は、
格別だったと想像します。
更に、その先にあった霊水池です。
屋根が設置されています。
その霊水池です。
観音第5番です。
観音第7番です。
更に登って行くと、
瀬戸内の生口島出身の世界的に有名な
平山郁夫画伯がスケッチをされた場所が
あります。
素晴らしい眺望が開けています。
こんな石仏もあります。
観音第九番で、不空羂索観音です。
そして、これが幸福の鳥居です。
くぐり抜けると幸福になれると言う事です。
少し歳をとり過ぎたかもしれません。
くぐって幸福になろうなんて気が起きない。
体形的にも、ちょっと苦しいです。
十三仏です。
13の仏様が彫られています。
少し行くと展望台があり、景色が良いです。
南東方向を見たところ。
右端に忠海の町が見えます。
少し南よりに目を移したところ。
グランドは、忠海中学です。
右端の島は、大三島で、
左側の山の陰になっている島は、
生口島です。
写真ではわかりづらいですが、
大三島と生口島に架かる
多々羅大橋も見えます。
南を見たところ。
中央の島は、大久野島で、
その向こうの大きな島は、大三島です。
大久野島の右側には、小久野島、
左端に大崎上島が見えます。
展望台から、なだらかな尾根道で、
景色が良いです。
西方向を見たところ。
歓喜山が見えます。
右端がこれから登る黒滝山です。
黒滝山です。
南西を見たところ。
左端に小久野島、
中央に大崎上島が見えます。
観音第十九番と、
その奥に少し見えるのが、長寿の亀岩です。
観音第21番です。
子宝観音と言う説明があります。
観音様の体の正面に
男性自身のような物が彫ってあります?!
やっと観音堂へ到着です。
観音堂は、来る途中にあった地蔵院の
奥の院に当ります。
写真は、観音堂から眺めた景色です。
南西を見たところ。
更に西寄りを見たところ。
忠海の町と、歓喜山が見えます。
観音堂にあった鐘つき堂です。
南西を見たところ。
右端の手前の島は、阿波島で、
その奥、写真中央の島は、生野島です。
観音堂の横には、石鎚神社の鳥居があり、
その横に鎖場があります。
その鎖場です。
私は、鎖場は見るだけにし、
安全な登山道を登る事にします。
南東の景色です。
右の島が大三島で、
左の島が生口島です。
写真ではわかりづらいですが、
生口島と大三島の間に架かる
多々羅大橋が見えます。
南を見たところ。
麓には、忠海の町、
正面に大三島が見えます。
正面右寄りに、大久野島が見えます。
登って行くと、分岐があって、
右に行くと休憩園地、
左に行くと頂上の標識があります。
まずは、休憩園地に行ってみます。
写真は、休憩園地にあった小さな祠です。
次に頂上へ向かいます。
頂上にも小さな祠がありました。
その祠の南に回って、祠を見たところ。
頂上から南を見たところ。
正面の大きな島は、大三島で、
中央右寄りの小さな島が、大久野島です。
ちなみに、大三島は愛媛県今治市で、
大久野島は、広島県竹原市です。
頂上から西を見たところ。
頂上から南西を見たところ。
中央のほっそり細長い島は、阿波島で、
鉄塔の向こうの島は、大崎上島です。
頂上から南、少し西よりを見たところ。
中央の小島は、小久野島で、
その左の島が、大久野島です。
頂上から南東を見たところ。
右端の島が、大三島で、
左側の島が、生口島です。
頂上のすぐ南には、岩山がそびえており、
ここにも小さな祠があります。
これが石鎚神社です。
ここへ登って来る途中、
観音堂の横の鳥居と鎖場がありましたが、
その鎖場を登ってくると、
この石鎚神社へ通じていたのだと思います。
頂上から北側を振り返ったところ。
尾根に沿って北に歩いて行っても、大きな岩があります。
そして、その岩にも、石仏が彫られています。(岩の左下)
今度は、歩いて来た頂上の方向、南を見たところ。
中央の島が大三島で、
右よりの島が、大久野島です。
黒滝山頂上部から、
これから行く白滝山を見たところ。
白滝山に向かう為に、尾根伝いに
黒滝山を下ります。
左の山が白滝山です。
白滝山へ向かう途中、東を見たところ。
白滝山です。
白滝山へ向かう途中に見た赤い実です。
木立の間から、
瀬戸内海に浮かぶ船を見たところ。
クレーンが付いてないようなので
タンカーかな?
こんな紫の花も咲いてました。
この赤い実は、山帰来かな?
植物の事が、良くわかって無いので、
違ってたら、すみません。
白滝山の頂上付近には
龍泉寺と言うお寺があります。
白滝山や、龍泉寺へお参りする人達の為だと
思いますが、駐車場があります。
その駐車場の手前から、白滝山を見たところ。
駐車場にあった「忠海駅から、黒滝山、白滝山への地図」です。左側が北。
そして、駐車場から白滝山へ登り始めたところに、
大きな岩があり、
国立公園白瀧山 乾坤第一峰と彫られています。
「乾」は天、「坤」は地を意味します。
天地合わせて、第一峰と言いたいのだと思いますが、
少しおおげさかな?
でも、この辺りでは、一番の自慢の山と
言いたいのだと思います。
龍泉寺への道から、
先程登った黒滝山を見たところ。
左が生口島で、右が大三島です。
写真ではわかりづらいですが、
生口島と大三島を結ぶ
多々羅大橋が見えます。
正面は、大三島です。
多々羅大橋方面を眺めたところ。
目の前の尾根には、
帰りに寄った展望台の屋根が
見えます。
中央右が大三島で、
左端が生口島です。
正面右が大崎上島で、
左端が大三島です。
龍泉寺の門です。
この龍泉寺には、本尊の木造十一面観音坐像等の広島県重要文化財があるようです。
本堂の内部です。
正面の仏像です。
でも、これは、広島県重要文化財の本尊では
無いようです。
その右側の像です。
右手を挙げています。
その左側の像です。
広島県三原市の重要文化財の絵馬です。
1653年(承応2年)に制作された物の
ようです。
本堂左側に掛けられた絵馬です。
本堂右側に掛けられた絵馬です。
そして、今度は、
龍泉寺の裏山の
白滝山頂上へ登ってみます。
その頂上には、
八畳岩と呼ばれる
大岩があって、
磨崖仏が彫られています。
頂上を目指して登る途中の景色です。
正面に黒滝山、
その向こうに、大三島が見えます。
右に見える島が、大三島です。
右よりの山が歓喜山です。
その向こうに阿波島、
更にその向こうに生野島が
見えます。
磨崖仏が見えてきました。
この磨崖仏は、釈迦三尊像です。
中央が、釈迦如来座像で、
両脇に、迦葉・阿難尊者立像が
彫られています。
南東方向を見たところ。
中央の島は、生口島です。
東を見たところ。
北東を見たところ。
また、磨崖仏があります。
これが、江戸時代初期の磨崖仏の
ようです。
上の写真の左下のレリーフです。
鬼のような顔。おへその辺りを良く見ると、
人の顔のように見えます。
右手に持っているのは蛇?
子供との関係は、何なんだろうか?
また、別のレリーフです。
正面の人の服は、どこか異国の人のような服に
見えます。
手に持っている刀の先は、二つに分かれて
棘のような尖った刃が飛び出ているように
見えます。
この三人組も異国の人に見えます。
こんなレリーフもあります。
これも、日本では無く、中国の雰囲気があります。
なんで、こんなレリーフが彫られたのでしょう?
そして、頂上へ到着です。
すぐ下には、先程、お参りした龍泉寺が見えます。
その向こうの山が黒滝山です。
そして、中央の島が大三島です。
南東の景色です。
左の島は、生口島で、
右端の島は、大三島です。
南西の景色です。
右の山は、歓喜山で、
中央に、阿波島です。
その向こうに、生野島です。
北西を見たところ。
北、少し西よりを見たところ。
北を見たところ。
頂上の八畳岩の上に登ってみます。
南東方向を見たところ。
左が生口島で、
右が大三島です。
少し東に目を向けます。
中央左の島は、生口島です。
南、少し西よりを見たところ。
左が大三島で、
右が大崎上島です。
南西を見たところ。
西、少し南よりを見たところ。
北方向を見たところ。
北、少し東よりを見たところ。
北東方向を見たところ。
東、少し南よりを見たところ。
東、少し南よりを見たところ。
右端の海に船が浮かんでいます。
大きな船の向こうを、
小さな船が通り過ぎています。
その船です。
西には鐘つき堂があります。
西から八畳岩を見たところ。
この上で弁当を食べました。
瀬戸内の景色を眺めながらのお弁当は、
格別です。
白滝山を南に向かって下山する途中に、
展望台がありました。
登る途中に見えた展望台です。
左が生口島で、
右が大三島です。
その生口島と大三島を結ぶ
多々羅大橋が見えます。
南、少し西よりを見たところ。
正面に黒滝山が見えます。
その向こう左手に、大崎上島、
更に、その向こうに、大三島が見えます。
右側は、小久野島です。
南西方向を見たところ。
左側が、大崎上島です。
南東方向を見たところ。
正面が、生口島です。
北方向を見たところ。
中央が、小早川氏の高山城跡で、
その左隣に新高山城跡が見えます。
北東方向を見たところ。
この先に、三原の町があります。
東、少し南よりを見たところ。
南東方向を見たところ。
左が生口島で、
右が大三島です。
南を見たところ。
正面が大三島です。
更に下りながら、南東を見たところ。
左が生口島で、
右が大三島です。
南、少し西よりを見たところ。
正面が黒滝山です。
黒滝山の陰に隠れて、半分のぞいている島が、
小久野島です。
黒滝山の向こうの島は、大三島です。
南西を見たところ。
中央左が、大崎上島で、
右側の山際に見える島が、阿波島です。
その向こうが、生野島です。
南西方向を見たところ。
右の島は、大崎上島です。
下山途中に見た鳥です。
何と言う鳥でしょう?
南、少し東よりを見たところ。
正面の島は、大三島です。
中央、左寄りに、阿波島が、
その向こうに生野島が見えます。
下山して行くと、
舗装道に出ます。
予定していたコースは、
この舗装道を
横切って行くはずでしたが、
寒さと疲れで、安心感から
舗装道を道なりに下って
行ってしまいました。
その為、忠海駅まで、
かなりの大回りをする
はめになりました。
舗装道で見たカマキリです。
10月の終わりですが、まだ、頑張って生きてました。
忠海の町へ帰って来て、
見上げた黒滝山です。
忠海の町の綿屋清左衛門が寄贈した常夜灯です。
綿屋清左衛門宅には、日本全国を測量して歩いた
伊能忠敬が宿泊したと言う事です。