黒滝山(266m )
: 31Oct2012 広島県竹原市
白滝山(342m) :
31Oct2012
広島県三原市
黒滝山、白滝山へ、広島県竹原市の忠海側から、登って来ました。
JR呉線の忠海駅で下車。
忠海駅にあった観光案内板。
忠海港から黒滝山を見上げたところ。
忠海港から南を見たところ。
正面に大久野島、その向こうに大三島が見える。
黒滝山に向かう途中の道。
途中、地蔵院と言うお寺がある。
山門越しに黒滝山を見たところ。
近くの畑には、みかんがなっている。
これは、みかんじゃ無いようだが…。
この辺りは、柑橘類が有名だ。
黒滝山。
途中、こんな道しるべ?が。
でも、なんて書いてあるか、私には読めない。
登山道を横切る舗装道に出会う。
登って来た南側を振り返る。
正面に大三島が見える。
その舗装道脇にあった黒滝山・白滝山の周辺地図。
登山道周辺
には、33体の
石仏が、点在
している。
ミニ四国33ヶ所霊場と呼ばれているようだ。
南西方向を見たところ。
正面の小島は、小久野島。
鉄塔の向こうに見えるのは、大崎上島。
登って行くと、岩に彫られた石仏がある。
これは、観音第14番とある。
南側の景色。
中央に浮かぶ左側の島が、大久野島、右が小久野島。
大久野島は、戦時中の毒ガス製造で有名であるが、
今は、小学校で飼われていたウサギが、人が住まなくなって、
自然繁殖しており、ウサギ島として有名だ。
左側の大きな島は、大三島。
右側の鉄塔の向こうの島は、大崎上島。
途中、休憩所のさくら堂にあった黒滝山の説明板。
更に登って行くと、また、岩に彫られた石仏があった。
観音第十番。
更に登って行くと。乃木将軍腰掛の岩があった。
明治39年5月、忠海重砲大隊特命検閲の為に、
ここ竹原市忠海へ来たと、説明板に書かれている。
その腰掛岩越しに景色を見たところ。
この岩に座って眺めた景色は、格別だったろう。
更に、その先にあった霊水池。
屋根が設置されている。
その霊水池。
観音第5番。
観音第7番。
更に登って行くと、瀬戸内の生口島出身の世界的に有名な
平山郁夫画伯がスケッチをされた場所。
素晴らしい眺望が開けている。
こんな石仏も。
観音第九番。不空羂索観音。
そして、これが幸福の鳥居。
くぐり抜けると幸福になれるらしい。
少し歳をとり過ぎたかもしれない。
くぐって幸福になろうなんて気が起きない。
体形的にも、ちょっと苦しい。
十三仏。
13の仏様が彫られている。
少し行くと展望台があり、景色が良い。
南東方向を見たところ。
右端に忠海の町が見える。
少し南よりに目を移したところ。
グランドは、忠海中学。
右端の島は、大三島。
左側の山の陰になっている島は、生口島。
写真ではわかりづらいが、大三島と生口島に架かる
多々羅大橋も見える。
南を見たところ。
中央の島は、大久野島。
その向こうの大きな島は、大三島。
大久野島の右側には、小久野島。
左端に大崎上島が見える。
展望台から、なだらかな尾根道で、景色が良い。
西方向を見たところ。
歓喜山が見える。
右端がこれから登る黒滝山。
黒滝山。
南西を見たところ。
左端に小久野島。
中央に大崎上島。
観音第十九番と、
その奥に少し見えるのが、長寿の亀岩。
観音第21番。
子宝観音と言う説明板がある。
観音様の体の正面に男性自身のような物が彫ってある?!
やっと観音堂へ到着。
観音堂は、来る途中にあった地蔵院の奥の院に当る。
写真は、観音堂から眺めた景色。
南西を見たところ。
更に西寄りを見たとところ。
忠海の町と、歓喜山。
観音堂にあった鐘つき堂。
南西を見たところ。
右端の手前の島は、阿波島。
その奥、写真中央の島は、生野島。
観音堂の横には、石鎚神社の鳥居があり、その横に鎖場があった。
その鎖場。
私は、鎖場は見るだけにし、安全な登山道を登る事にした。
南東の景色。
右の島が大三島。
左の島が生口島。
写真ではわかりづらいが、生口島と大三島の間に
架かる多々羅大橋が見える。
南を見たところ。
麓には、忠海の町。
正面に大三島が見える。
正面右寄りに、大久野島。
登って行くと、分岐があって、右に行くと休憩園地、
左に行くと頂上の標識があった。
まずは、休憩園地に行って見る。
写真は、休憩園地にあった小さな祠です。
次に頂上へ向かう。
頂上にも小さな祠があった。
その祠の南に回って、祠を見たところ。
頂上から南を見たところ。
正面の大きな島は、大三島。
中央右寄りの小さな島が、大久野島。
ちなみに、大三島は愛媛県今治市で、
大久野島は、広島県竹原市です。
頂上から西を見たところ。
頂上から南西を見たところ。
中央のほっそり細長い島は、阿波島。
鉄塔の向こうの島は、大崎上島。
頂上から南少し西よりを見たところ。
中央の小島は、小久野島。
その左の島が、大久野島。
頂上から南東を見たところ。
右端の島が、大三島。
左側の島が、生口島。
頂上のすぐ南には、岩山がそびえており、ここにも小さな祠がある。
これが石鎚神社。
ここへ登って来る途中、観音堂の横の鳥居と鎖場があったが、
その鎖場を登ってくると、この石鎚神社へ通じていたのであろう。
頂上から北側を振り返ったところ。
尾根に沿って北に歩いて行っても、大きな岩がある。
そして、その岩にも、石仏が彫られている。(岩の左下)
今度は、歩いて来た頂上の方向、南を見たところ。
中央の島が大三島。
右よりの島が、大久野島。
黒滝山頂上部から、これから行く白滝山を見たところ。
白滝山に向かう為に、尾根伝いに白滝山を下る。
左の山が白滝山。
白滝山へ向かう途中、東を見たところ。
白滝山。
白滝山へ向かう途中に見た赤い実。
木立の間から、瀬戸内海に浮かぶ船。
クレーンが付いてないようなのでタンカーかな?
こんな紫の花も咲いてました。
この赤い実は、山帰来?
植物の事が、良くわかって無いので、
違ってたら、すみません。
白滝山の頂上付近には龍泉寺と言うお寺がある。
白滝山や、龍泉寺へお参りする人達の為だと思うが、
駐車場があった。
その駐車場の手前から、白滝山を見たところ。
駐車場にあった「忠海駅から、黒滝山、白滝山への地図」。左側が北。
そして、駐車場から白滝山へ登り始めたところに、
大きな岩があり、国立公園白瀧山
乾坤第一峰と彫られている。
「乾」は天、「坤」は地の意味。
天地合わせて、第一峰と言いたいのだと思うけど、少しおおげさかな?
でも、この辺りでは、一番の自慢の山と言いたいのであろう。
龍泉寺への道から、先程登った黒滝山を見たところ。
左が生口島。右が大三島。
写真ではわかりづらいが、生口島と大三島を
結ぶ多々羅大橋が見えた。
正面は、大三島。
多々羅大橋方面を眺めたところ。
目の前の尾根には、帰りに寄った展望台の屋根が
見える。
中央右が大三島。
左端が生口島。
正面右が大崎上島。
左端が大三島。
龍泉寺の門。
この龍泉寺には、本尊の木造十一面観音坐像等の広島県重要文化財があるようだ。
本堂の内部。
正面の仏像。
でも、これは、広島県重要文化財の本尊では無い。
その右側の像。
右手を挙げている。
その左側の像。
広島県三原市の重要文化財の絵馬。
1653年(承応2年)に制作された物らしい。
本堂左側に掛けられた絵馬。
本堂右側に掛けられた絵馬。
そして、今度は、龍泉寺の裏山の
白滝山頂上へ登って見る。
その頂上には、八畳岩と呼ばれる
大岩があって、磨崖仏が彫られて
いる。
頂上を目指して登る途中の景色。
正面に黒滝山、その向こうに、大三島が見える。
右に見える島が、大三島。
右よりの山が歓喜山。
その向こうに阿波島、更にその向こうに生野島が
見える。
磨崖仏が見えて来た。
この磨崖仏は、釈迦三尊像。
中央が、釈迦如来座像。
両脇に、迦葉・阿難尊者立像が彫られている。
南東方向を見る。
中央の島は、生口島。
東を見たところ。
北東を見たところ。
また、磨崖仏がある。
これが、江戸時代初期の磨崖仏か。
上の写真の左下のレリーフ。
鬼のような顔。おへその辺りを良く見ると、人の顔の
ように見える。右手に持っているのは蛇?
子供との関係は、何なんだろうか?
また、別のレリーフ。
正面の人の服は、どこか異国の人のような服に見える。
手に持っている刀の先は、二つに分かれて棘のような
尖った刃が飛び出ているように見える。
この三人組も異国の人に見える。
こんなレリーフもあった。
これも、日本では無く、中国の雰囲気がある。
なんで、こんなレリーフが彫られたのだろう?
そして、頂上へ到着。
すぐ下には、先程、お参りした龍泉寺が見える。
その向こうの山が黒滝山。
そして、中央の島が大三島。
南東の景色。
左の島は、生口島。
右端の島は、大三島。
南西の景色。
右の山は、歓喜山。
中央に、阿波島。
その向こうに、生野島。
北西を見たところ。
北、少し西よりを見たところ。
北を見たところ。
頂上の八畳岩の上に登って見る。
南東方向を見たところ。
左が生口島。
右が大三島。
少し東に目を向ける。
中央左の島は、生口島。
南、少し西よりを見たところ。
左が大三島。
右が大崎上島。
南西を見たところ。
西、少し南よりを見たところ。
北方向を見たところ。
北、少し東よりを見たところ。
北東方向を見たところ。
東、少し南よりを見たところ。
東、少し南よりを見たところ。
右端の海に船が浮かんでいる。
大きな船の向こうを、小さな船が通り過ぎている。
その船。
西には鐘つき堂がある。
西から八畳岩を見たところ。
この上で弁当を食べた。
瀬戸内の景色を眺めながらのお弁当は、格別だ。
白滝山を南に向かって下山する途中に、展望台があった。
登る途中に見えた展望台だ。
左が生口島。
右が大三島。
その生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋が見える。
南、少し西よりを見たところ。
正面に黒滝山。
その向こう左手に、大崎上島。
更に、その向こうに、大三島。
右側に、小久野島。
南西方向を見たところ。
左側が、大崎上島。
南東方向を見たところ。
正面が、生口島。
北方向を見たところ。
中央が、小早川氏の高山城跡。
その左隣に新高山城跡。
北東方向を見たところ。
この先に、三原の町がある。
東、少し南よりを見たところ。
南東方向を見たところ。
左が生口島。
右が大三島。
南を見たところ。
正面が大三島。
更に下りながら、南東を見たところ。
左が生口島。
右が大三島。
南、少し西よりを見たところ。
正面が黒滝山。
黒滝山の陰に隠れて、半分のぞいている島が、小久野島。
黒滝山の向こうの島は、大三島。
南西を見たところ。
中央左が、大崎上島。
右側の山際に見える島が、阿波島。
その向こうが、生野島。
南西方向を見たところ。
右の島は、大崎上島。
下山途中に見た鳥。
何と言う鳥だろう?
南、少し東よりを見たところ。
正面の島は、大三島。
中央、左寄りに、阿波島。
その向こうに生野島。
下山して行くと、舗装道に出た。
予定していたコースは、この舗装道を横切って行くはずだったが、寒さと疲れで、安心感から舗装道を道なりに下って行ってしまった。
その為、忠海駅まで、かなりの大回りをするはめになった。
舗装道で見たカマキリ。
10月の終わりだけど、まだ、頑張って生きてました。
忠海の町へ帰って来て、見上げた黒滝山。
忠海の町の綿屋清左衛門が寄贈した常夜灯。
綿屋清左衛門宅には、日本全国を測量して歩いた
伊能忠敬が宿泊したらしい。
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