大弥山(159 m) : 13Apr2014
広島県福山市鞆町


鞆の浦には、仙人も酔うほどに美しい仙酔島があります。
その仙酔島の大弥山に登って来ました。

鞆の浦に行くには、JR福山駅から鞆鉄バスに乗って、沼隈半島の海岸沿いを走って行くのが、一般的なコースです。

でも、今回は、尾道から高速船に乗って、鞆の浦へ向かいました。



JR尾道駅の向かいにあるグリーンヒルホテル尾道の前の
桟橋から、高速船に乗ります。

出港直後に見た尾道城。

でも、このお城は、本物の城では無く、
1964年に観光用のお城として建てられた物。
今は立ち入り禁止で廃墟になってます。











千光寺山に千光寺が見えます。
(山の右側の辺りです。)

細い尾道水道内の航行は、速度制限があるのでしょう。
高速船とは言え、ゆっくり進んで行きます。














新尾道大橋と、尾道大橋の下を抜けて、進みます。

新尾道大橋と、尾道大橋は、重なって見えます。

右側に見える山が、
浄土寺山です。














更に進むと、大きな船が。

進水したばかりの船でしょうか?
尾道造船所です。


尾道水道を抜けると、高速船は、スピードUPします。













瀬戸内の景色を眺めながら進むと、常石造船所も見えて来ます。
























そして、沼隈半島と、田島の間に架かる内海大橋です。 
 
この橋は、海の上で大きくカーブしており、美しい景観の
橋になってます。















岬の突端に建つのは、阿伏兎観音です。

国立公園切手シリーズで、切手の絵柄にもなりました。



高速船は、観光客の為に、しばらく停まって、
写真撮影時間をくれました。











そして、いよいよ鞆の浦へ。

写真は、鞆の浦の弁天島です。


弁天島を、北東から見たところ。













高速船は、港へ直行せず、弁天島を一周してくれました。

弁天島を、西から見たところ。
















その反対側には、圓福寺・大可島城跡が見えます。


















鞆港へ到着です。

鞆のシンボルのひとつの常夜灯も見えます。
1859年に建造されました。















江戸時代に造られた波止場。

1791年に大可島下から90m、淀姫神社下から36m造られ、
その後、延長、修理が行われ、現在は、総長144mになっている。






















前方、手前の島が、弁天島。

その向こうの大きな島が、仙酔島。
この島は、天上を舞っていた仙人があまりに美しい景色に
酔いしれて、臥して島になったたと言われている。

右端の島が、皇后島。



仙酔島への渡船「平成 いろは丸」に乗って、出発です。








弁天島。

1617年に、この地を訪れた朝鮮通信使の日記には、
「明秀奇絶」と記されている。


弁天島の向こう、中央の大きな山が、仙酔島の大弥山。
左の山が、中弥山。











弁天島にたつ弁天堂(福寿堂)。
朱塗りのお堂が目を引きます。

また、この島には、弁天島塔婆がある。
その弁天島塔婆にまつわる伝説は、以下。

ある航海者が海中に家宝の太刀を落とし、それを取ってくるようにと浦人に
頼みました。そして、ある勇敢な若者が名乗りを上げましたが、鰐(フカ=サメ)
の牙で落命してしまいます。後に、銭百貫でその亡骸を弔ったといいます。

















平成いろは丸からの景色。

この景色の中央辺りに、海食門の眼鏡岩があった。
この眼鏡岩が、2009年5月に崩落したニュースがあった。
今は見る事ができない。
残念だ。












平成いろは丸で仙酔島へ向かう途中の景色。

南西方向に、弁天島。
その向こう右側に、玉津島が見えます。















平成いろは丸から北を見たところ。

右側に竹ケ端(たけがはな)。















仙酔島に到着です。

桟橋の近くにある海食門。

福山出身の私は、子供の頃、この門をくぐって、海水浴へ行った事を
思い出しました。


















瀬戸内海国立公園と仙酔島の説明板。


























沼隈半島の南東、仙酔島から、阿伏兎岬に至る海岸は、
鞆断層崖と呼ばれているらしい。

この辺りは、大小の島々が散在し、かつ、海食崖が多く
見られるようだ。

















桟橋から田ノ浦へ出て、平成いろは丸から見た海食門 眼鏡岩跡の方向に歩いて行く。
島の西の端を見たところ。
反対側から見ても、確かに眼鏡岩はない。

眼鏡石があった辺りの岩の間から、向こうに弁天島の弁天堂が見える。
























海岸から島の南東へ向けての海岸線を見たところ。

左端に、田ノ浦のビーチが見える。















田ノ浦のビーチの山側には、芝生広場があり、
その奥にキャンプ場がある。















田ノ浦から、海岸線遊歩道を、南東に進んで行く。



























遊歩道から西を見たところ。

中央左よりに、圓福寺・大可島城跡が見える。















島の海岸線に沿って延びる遊歩道。

















岩に入った筋状のパターンから大地の激動があった事が
わかるらしい。

激しい火山活動や、大地の傾きが発生したり、激しい地震で
断層のズレが生じたりって事が、わかるらしい。













これは、仙酔層。
(仙酔層は、東大の名誉教授に名付けられた。)

火山活動で形成された仙酔岩体と、仙酔岩体の間に、
約15cmの厚みの仙酔層が見られる。

この仙酔層は、火山活動の休止期に、頁(けつ)岩・凝灰岩質砂岩・礫質砂岩などが互層に堆積した層である。











ここでは、火山活動で形成された流紋岩質凝灰岩と、その上に堆積した仙酔層、
そして、仙酔層を断ち切るようにマグマが流入し、ひん岩がつくられた。

それぞれの流紋岩質凝灰岩、仙酔層、ひん岩の接し方を見る事に、
岩が動いた順がわかるらしい。




















歩いて来た遊歩道を振り返ったところ。

左端に見える島は、皇后島。















まだ、まだ、遊歩道は、続く。

下加美島が見えて来た。















五色岩と赤色岩と説明有り。

流紋岩質凝灰岩の風化により、様々な色をおびてきて
五色岩と呼ばれているらしい。

その中でも、特に、流紋岩質凝灰岩に含まれる褐鉄鉱の
風化により、現れたものを赤色岩と呼ばれている。


難しい話は、さておき、この五色岩は、どうも、パワースポットに
なっているらしい。









海を見ると、ブイの上に、アオサギが一羽とまっていた。
























その向こうを、船が過ぎて行く。
























すると、別のアオサギが飛んで来た。

















ブイの上のアオサギが2羽になった。

波がまぶしい。
















更に遊歩道は続く。








彦浦に出ると、山に向け登って行く。








下加美島。

















登る途中に、西を見たところ。

















名前は知らないが、花が咲いている。

















ツツジも咲いている。

















西の景色。

















その拡大写真。

左端の島は、皇后島。

中央、右よりに見える島は、弁天島。













大弥山の頂上に着きました。

頂上にあった説明板。

仙酔島には、平安時代から、
「七浦七胡」と言われる地名が
あるらしい。

その七浦とは、小浦、田ノ浦、小松浦、
大松浦、大浦、深山尻浦の事。

遠浅で、かつては地曳き網を
やっていた。

その大漁祈願の為に、七浦には
胡神社が祀られている。

今では、その胡神社が、住吉神社と
混同され、住吉神社と呼ばれている。










鞆には、原港、鞆港、平港の
3つの港があります。





























大弥山の頂上からの景色。

中央右下に仙酔島の御膳山、その向こうに弁天島、
更に、その向こうに大可島が見える。

その向こうの丸い湾が、鞆港。













御膳山、弁天島、大可島、鞆港の辺りを、ズームして見る。

右端が御膳山、その向こう中央が弁天島、更に、その向こう左よりが大可島。
丸い湾が、鞆港。




















西から北に目を移す。

中央辺りのビルは、ホテル鴎風亭。















頂上にいた蝶。
ヒオドシチョウのようです。

越冬をしたのでしょう、羽がかなり傷んでます。

















中央に大可島。
その向こうの丸い湾が鞆港。

この鞆港を、湾に沿って、一部、埋立し橋を架ける計画が
あり、賛否両論に分かれている。

しかし、なんとか、この景観を残して貰いたいと願っている。




大弥山を下り、仙人ヶ丘展望台へ向かう。






仙人ヶ丘展望台へ到着。

右の説明板があった。













鞆は、満ち潮に乗って港へ入り、
引き潮に乗って、港を出て行く、
潮待ちの港として、にぎわった
と言う事です。











仙人ヶ丘展望台からの景色。

南東を見たところ。

中央右よりの小さな島は、下加美島。
遠方に見える島は、走島。












西を見たところ。

眼下の大きな島は、皇后島。

その向こうの防波堤で繋がっている小さな島は、玉津島。













西の景色。

左下の島は、皇后島。

神功皇后が仙酔島へ渡る前に、この島へ船をよせ、
小舟に乗りかえられたらしい。













道をくだりながら、西方向を見たところ。
























左の島は、皇后島。

















下りながら、見た景色。








次は、仙酔島の西の橋にある御膳山へ行く事に。

一旦、下り、田ノ浦の前を通り、桟橋方向に向かう。






桟橋が見えてきた。

北を見たところ。





次は御膳山へ向かって登って行く。









途中、振り返って、東を見たところ。

右側が大弥山。
左が中弥山。














北を見たところ。
竹ヶ端を見たところ。
















行啓記念碑が立っていた。

行啓とは、辞書で調べると、
「三后・皇太子・皇太子妃・皇太孫が外出すること。」とある。

大正15年に、昭和天皇が皇太子時代に、ここから鯛網を
ご覧になられたらしい。











展望所にあった説明板。


























鞆は、鯛網漁が有名です。






















展望所からの景観。
西を見たところ。

目の前に、弁天島が見えます。
その向こうに大可島が見える。














ここに、弁天島の伝説の説明が、ありました。

ここに遊んだ近江国の人が過って宝刀を海中に落としてしまいました。これを鞆の浦の若い漁師が命がけで拾い上げましたが、フカ(=サメ)に襲われてしまいました。これを哀れんで銭百貫文で十一重の石塔を建てて、その霊を弔った、と言う伝説が残ってます。

よって、弁天島は、百貫島とも言われてます。
















西を見たところ。

















弁天島。























弁天島の弁天堂。

その向こうは、大可島の圓福寺。





















弁天島。

その向こうは大可島の圓福寺。
大可島は、今は陸続きだが、昔は島で、大可島城だった。














しばらく、御膳山からの景色を楽しんだ後、
帰途に。

桟橋から海を見ると、クラゲがいた。





















帰りの船から見た弁天島。

北から見たところ。















弁天島。

西から見たところ。















鞆の海岸通りには、小魚を売る店が多い。

その海岸上空には、何を狙っているのか、トンビが
群れていた。














カモメもいた。


















海岸通りで。

小魚をさばいて、日干しにしているようだ。















ここにも、たくさんの小魚が。

















帰りは、鞆鉄バスで、JR福山駅へ帰りました。


ちなみに、仙酔島の山の名前が、大弥山とは?そう言えば、宮島にも弥山がある。関連があるの?
不思議に思っていた。
鞆の浦を紹介するサイトを読んでいたら、以下の記載があった。

仙酔島はその昔、現在の宮島厳島神社・大鳥居建立の第一候補地だったといわれています。
しかし、フカ(サメ)のために断念したと伝えられています。
江戸時代以前には宮島のように海上に紅鳥居があったとも言われています。
   
もしかすると、仙酔島が、厳島になっていた可能性もあったのかも。 

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